ケチャップライスの道

私は日々オムライスを研究している。 オムライスを食し、評価して、新しい価値を見出すこと。 これは当面の目標になっている。 今回はケチャップライスについて語りたい。 私はケチャップライスの作り方には二通りあると思っている。 甘くするか、酸っぱくす…

演劇とダンスの境目をなくす作業について。

一般的に広がっているダンスのイメージは特権的な存在として音楽があり、その音楽を通して身体を見つめる、またはその身体を通して音楽を見つめるという相互作用によって成り立っていると思う。 それが音ハメとか呼ばれたりして、観客をあおるものなんだけど…

覚え書き。舞台について。

ここにいるという存在を大切にしていたい。 よく舞台は生の空間だからというけど、ぼくはそれだけでは、言葉が足りない気がしている。 生っていう空間は、その空間を共有できることに意味がある。 それは、観客と役者の垣根を超えて、ここにいて彼/彼女の話…

人間関係と僕の作品。

【まとまりのない文章になってしまったが、今ここに記しておかないといけない気がして、そのままぶあーってかいてます。ご容赦ください...。】 僕は‪作品を作るときに、自分が設定したテーマに関して多角的に物事を考えて結論をなんらかの形で出さなくてはな…

悲観的になることの奥深さ。

「現代社会を悲観なければならない。」 そう諦めるしかないのである。 だから現段階での表現活動は、その諦めを笑うか、その諦めを徹底的に分析するか、のどちらかだと自分では思っている。 「病む」という言葉に台頭されるように、なぜか悲観的な目線は、反…

小林賢太郎のコントはなぜ憂鬱にさせるのか。

小林賢太郎という人物をご存知だろうか。 舞台を中心に活躍しているパフォーミングアーティストである。 主に劇作、役者、小道具などなどその才気は計り知れない。 彼の劇は、大胆な言葉遊びから、小さな言葉遊びまで巧みに使いこなし、日本語というものを徹…